Healed while heal

30代田舎在住ゲイの、普段表に出せない感情などを書き綴るブログです。

インシュアラー(神の思し召し)

 先週末は、やっと近くの神社に初詣にいってきました。けっこう由緒ある神社でして、年始は混むので、この時期くらいにひっそりとしたところが結構良かったです。願ったことはもちろん自分の一丁目一番地のことなのですが、それ以外に結構皇室とも関わりの深い神社ですので、退位、即位に関する一連の儀式がつつがなく終えられることも合わせて、お祈りしました。

 そんで終わってからふと神様にチャートが思い通りの動きになります様にと祈るのは、神様もそんな野暮なことは関りもしないし、正しくは「チャートの動きに合わせて、自分が適切に動けます様に」が正しいのではなと、思ったりしました。

 そんなこんなで、それから大げさやけど神様との付き合い方的なものを、ふとした瞬間に考える様になりまして、イスラム世界でよく使われる「インシュアラー」(神の思し召し)というものが一番しっくりくるんかなという感じがしました。

 どういうことかといいますと、予想していた動きがあって、それに反することがあっても、それは神の思し召しであって、自分ではコントロールできないので仕方がないと良い意味であきらめることです。

 あの野球の松井秀樹さんも「自分にコントロールできないものはいっさい考えない。考えても仕方がないことだから。自分にできることだけに集中するだけです。」と言われていることと同じことなのかなと思います。

 ほんで、ことある度にインシュアラー、インシュアラーといってますと、コントロールできないことに対して余計なことを心配しなくても良く、逆にコントロールできるもの(予想と反対側にいったときに、切るか、我慢するかの判断)に集中できるような感じで、ああちょっと良いかもと思って、さっそく今年のマイ流行語にノミネートされそうです。

 日本は、自然の恵みにあふれているからどんなものにも神が宿るという八百万の神という考え方が生まれたが、イスラム世界は、厳しい自然環境から唯一絶対神一神教が広まり、どんな境遇になろうと「神の思し召し」といって、良い意味でも悪い意味でも神に責任を投げつけて、苦痛を和らげようとしたんじゃないかと思います。

 このインシュアラーという言葉を知ったのは、学生時代に初めての海外でタイに行った時のゲストハウスにあったサラリーマン金太郎の漫画で知ったのですが、中東でのプロジェクトが戦争か何かで失敗したときに、主人公が「インシュアラーが大事」みたいなことを言われてまして、当時はきょとんとしていましたが、12年たって初めてその意味を感覚としてとらえることができました。当時、書いていたメモ帳的日記を今回久しぶりに見たのですが、青臭いと思いながらも、熱い自分がいまして、その青臭さ的な熱いものも、やはり心のどこかに併せて持ち続けたいとも思いました。