Healed while heal

30代田舎在住ゲイの、普段表に出せない感情などを書き綴るブログです。

またも負けたか八連隊

 関西シリーズがこのところ続き、視聴率は悪いのですが、今回は「もし、明治前夜に大阪に都がうつっていたら」ということで関西シリーズ最終回なんでご勘弁ください。

 大阪は、昔から商人の町というイメージがありますが、太古の昔、奈良時代より前は、都がおかれていた時期もありました。その後、都は長い間、京都でしたが、大阪が一時期、権威、権力、経済、文化のすべてを手に入れるかもしれない時期がありました。明治前夜、都が京都から遷都する案が出たときです。当時は、この3択があったようでした。

①大阪

  • メリット:有力商人をスポンサーにつけることができ、財政面で有利。
  • デメリット:土地が狭い、既存の政府施設がない(ゼロから作る必要がある。)

②江戸

  • メリット:江戸城など、旧幕府施設を、そのまま政府施設に使える。東北などの旧幕府勢力ににらみをきかせることができる。

  •  デメリット:京都の公家・市民の猛反対が予想される。

➂江戸、京都の両都案

  • メリット:京都の反対を抑えながら、江戸遷都のメリットを享受できる。

  • デメリット:両地域の移動など、全体的なコストが高い。

 

 

 結局は、旧幕府勢力へのにらみや、蝦夷地開拓など、東北・北海道に目を向ける必要があることや、大阪は首都でなくても中国などのアジア諸国と近く、経済的には発展できるが江戸はできないこと(事実、その後の大阪は東洋のマンチェスターと呼ばれるほどの商工業都市として一時期人口は東京を越えるほどに発展した。)等の意見もあって、表向き➂の形をとりながら、実質的には②という二面作戦をとることになりました。

 というわけで、大阪は千載一遇のチャンスを逃したわけですが、もし大阪遷都になっていた場合、歴史学者とかが言われていることですが、こんな予想がありました。

それによると

 当時、財政難であり、また富国強兵のもと、資金が何よりも欲しかった新政府のスポンサーとして有力商人が政府中枢に食い込み、いわゆる政商というものが続々誕生していました。そして金権政治、賄賂、そういったものが飛び交っていた可能性は高いです。

 一方で、政権中枢に商人が入り込むことで、「負ける勝負はしない。勝ちそうなときだけ勝つ。」という商人の合理主義的な考えが全面に出て、太平洋戦争開戦前に、もっと体裁を気にせずに、交渉事を進めることができて、戦争が回避できたかもしれない予想もあります。少なくとも、太平洋戦争末期の「一億総玉砕」的なある意味、武士道精神を悪い方に使ってしまい、広島、長崎、沖縄での悲惨な結末を迎えた状況は回避できたのかもしれないです。

 事実、当時、大阪出身者で構成された軍隊は「またも負けたか八連隊(大阪の軍隊)」と、子供が歌にして遊ぶほど、弱いことで有名でした。(実際は、勝てそうなときだけ勝負して、負けそうなときは徹底的に逃げるイメージで、そんなに連戦連敗ではなかったのですが)そういう軍隊が弱いことをある意味、誇りにしていた節があったようです。また、戦時中でも日本全体の検閲が激しい中で大阪の街中ではけっこうえん戦気分な会話が飛んでいたようです。

 まあ、歴史にIFはないんで、結果どうなっていたんかは分かりませんが、どの遷都案がよかったのか、想像をめぐらすんも楽しいと思います。

 というわけで、このあたりで関西シリーズはおしまいにします。