Healed while heal

30代田舎在住ゲイの、普段表に出せない感情などを書き綴るブログです。

在日朝鮮人でよかったこと。

 昔大学時代に大阪・鶴橋の在日朝鮮人で、それなりの事業をしている人に大学のフィールドワーク的なものが終了後に飲み屋的なものに行ったことがあります。

 当時、私はちょうどゲイであるとわかってマイノリティーとしてどうこれから生きていくかと模索していた時期でもあり、その時に在日朝鮮人でよかったことはと質問したことがあります。

その時の回答は

1、日本社会の奥深さに気づける。

 一般の日本人が分からないことに気づき、知ることができた。

2、人間の区別がつく。

今まで信頼して人が、自分が在日だと知って、急に自分への扱いが変わることがある為。

 若いころから、このような経験を積むことができたことは良かったとの回答がありました。

 その時は、そういう経験を、私もできるかもと思い、その後すごく熱い想いを持った訳でありました。 

 今、振り返るとそうなんだと思う訳ですが、何か知らない人と飲み交わすというか、そういうものここ最近していないなと思いながら、当時の熱い感覚をずっと持ち続けたいと思ったわけであります。

 

アイデンティティーの喪失

 最近、脱ゲイ実行中な訳なのですが、普段過ごして中では、そんなに気づくことはないのですが、時々落ち込んだときに、脱ゲイの喪失を考えてしまいます。 

 私は今まで、落ち込んだとき時とか、人生苦しくなった時、俺はゲイやから好きな人と一緒になれない。結婚して社会的にも認められていないとか、何でもゲイというのをどこかで理由にしてきたわけです。すごくそれは傍目でもわかりやすい考えです。わかりやすく言うとゲイという生まれつきの変えられない障害みたいなものをかかえて、でも障害は変えられないからどう生きるかみたいな物語を作ればよかったのですが。

 ところが脱ゲイしたら、ふと何が原因なんかと思考が止まったりしてしまうわけでして、悩みのアイデンティティが喪失してしまったというか、わかりやすい構図が使えなくなってしまったというか、女性と性行為ができないということだけでは軽い感じがしますし。新たな物語を作る必要があるのかなと思ったりしています