Healed while heal

30代田舎在住ゲイの、普段表に出せない感情などを書き綴るブログです。

号泣

 地元の祭りというものが先日開かれ、だんじりを出したりしたのですが、同級生とかが結婚したとかの話が多く、奥さんを連れてきたりしている中で(これはほんまにあてつけですね)結婚予定や彼女の有無を聞かれました。自分は嘘をつきたくないので、いないと答えましたが、なんともない劣等感を味わいました。

 でもみんなは正直、親孝行もしているし、地域の行事にも積極的だし、俺ができないことをやっているところを見て、自分の生き方はそうせざるを得ない生き方ではなくて、単純にわがままなのかなと思ったりして、自分自身がなんか恥ずかしくなりました。

 

 その後は、ヒラリーさんの言葉「大変かもしれない。しかし、困難は素晴らしいものになる。」とか「これは、自分への罰だ。それを乗り越えてみせる。」と気を張っていましたが、祭り終了後、何かダムが決壊するように家で一人で号泣しました。こんな顔をくしゃくしゃにして泣いたらしわができると気にしながら(気にするところはそこかいな!と突っ込みを入れたくなりますが・・笑)

 なんであの人たちは、好きな人と結婚できて世間的にも認められて、みんなから祝福されて・・・俺はそういう好きな人はいるけど、それを貫こうとしたら、世間と折り合いはつけれないし、結婚しようにも、相手の方に気持ちがわかないし、あまりにも理不尽や。と・・・


 まあでも泣いたら気が軽くなったし、ゲイで落ち込んだ時のバイブルである、「孤独の世界の歩き方」をキンドルで見て、未来の自分から今の自分に手紙を書いてみるというワークがあるのですが、「今が、一番しんどい時だと思うけど、今やっているトレードはもうすぐ花が本格的に開くから、それまではやるべきことを継続して、自分の生き方を貫け」的な手紙にしてみました、

 

 まあ、後、それと悩みの原因になっている自分がゲイであること、そして世間(地元社会)は、それを認めないことは変えられないから、変えられないことで悩んでも無駄なので、この変えられないものを受け入れた上で、どう自分が変わっていくかが大切だというところ、も心にしみ

こんできました。

 

 結論からいうと、今いる環境は合わないから武器を身に着けるべき。そうしたら環境を変えることもできるし、今いる環境で出過ぎた杭になることもできる、その選択を選ぶことができる。そういえばこういう地元の集まりがある度に、泣いているなと苦笑しながら、何はともわれ、改めて、進むべき道の為に頑張っていきたいと思った1日でした。