Healed while heal

30代田舎在住ゲイの、普段表に出せない感情などを書き綴るブログです。

令和3年の振り返り ゲイvsノンケ 生き方論争の決着は?

 今年「岸田ノート」が話題になりましたが、私も大学入学以降小さいノートに、気づいたこととか感じたこととか書いてきました。ただ、ここ数年は以前に比べノートに書き込むことがぐんと減ってました。これって感動したり心動かされることが減ったということ、動じない感じになったのかもしれないけど、年齢かなと思っていましたが、今年は久々にノートを書くことが多かったかなと思います。それだけ心動いた日々だったかもしれないです。

■仕事

4月にプロジェクト的なもののメンバーに加えられ、半年間ほど激務で一時は3日に1回は泣いてました。それと初めて監督職的なものをやり、立場の違う方々を指導する立場におりました。そこで気づいたことは、俺は要領ええんと違うんかというか、どんどん下の人間に仕事を任せて、自分は楽をする派なんやなと知りました。一方で俺がおらんかったらこの仕事は回らんぞという仕事の核の部分は握っておきたい気持ちもあってで、別に俺がやらんでもええことをさも俺がやらな回らん感じにしてまして、世の上司とか中間管理職の気持ちがちょっとはわかった日々でした。

■投資

今年は、短期のギャンブル的な感じから中長期でじっくりやっていく方向に変えていきたいと思い、ファンダメンタルズとか学んでいくうちに、以前からプログラミンできたらシステムトレードできて最強じゃんということで、5月ごろからプログラミングを独学で学び始めました。ただ、システムトレードを作りたいのか、転職したいのか、副業なのかで、学ぶ言語も変わるので、半月ほどは基本をかじったり目的があいまいで迷走していましたが、後述のこともあり11月から本格的にプログラミングスクールに入り、転職もしくは副業を目指して取り組んでいます。後、専業トレーダーになることは諦めました。兼業で頭の片隅にちょこっとお小遣い程度でやってるくらいが一番精神的に安定できるし、勝ちやすい感じです。

■婚活

本命さんとは、つかず離れずの関係が続いています。後は同僚が紹介した女性と1回会っただけ。後は仕事上の関係でいい感じになった女性がいて、一時期この女性に乗り換えようかと思いましたが、自分は基本的には結婚する際には、ゲイであることは言わないけれども、体の関係はできないことは伝えるつもりなので(子供はできないかも)、そのあたりを説明していくこと自体が仕事関係だと後々めんどくさい感じになるんで、何もアクションなしです。

■ゲイ活

会ってもないです。アプリでメッセージのやり取りをしたくらいです。ゲイ活ではないのですが、職場に推しが6~7人くらいいまして←気持ち悪い奴やなとゆう感じですが。たまに会ったりすれ違うと癒しをもらうくらいです。

『①地元で女性と結婚する VS ➁東京に出る』論争は?

 自分は20歳前くらいに自分がゲイだとわかり、それ以降ゲイ時代というものを歩んできたわけですが、今年は9月くらいにはもうそれが終わって、大政奉還でまた①のノンケ時代に戻るんかなと思ってました。

 ところが、相手もあることやし、前のめりすぎるのもよくないなと思い、余裕を保つために、10月以降、➁の親とか犠牲にしてゲイとして生きていきたいという気持ちも大切にしました。ところがそれが私の本当の気持ちみたいなところもあって、みるみるうちに➁が本命候補になってしまい、進路がわかないようになってしまいました。

 その時に占いをはしごして、①に対して厳しいことを言われて、➁を目指すしかないなと思ったわけで、本格的にプログラミングを学んだりしている訳です。

 ただ、コロナで時代のトレンドは地方移住でありますし、ゲイとかなければ自分は地元の方が暮らしやすい(食と住のコスパは半端なくいい。本業、副業、農業と自分の立ち位置を分散化できる。人生100年時代を考えると極めて合理的)のもあって、年末を迎えた今、誤差の範囲内でわずかに①が優位に立っています。

 

 ちなみに今年は岸田さんと眞子さんが個人的に気になる人たちでした。岸田さんは、いい意味で悪役ばかりが集まる自民党重鎮の中で、人柄がいいだけの人間がなんとか乗りこなしている感が危なっかしくも応援したくなる感じです。眞子さんは、親・世間を敵に回して、皇室に大迷惑をかけて飛ぶ鳥跡を汚してでも、自分を貫くところが、私ももし➁のように親・親族を敵に回しても東京に行ったらどんな感じになるんやろうと考えるきっかけと敵に回す勇気を与えてくれたところがです。